唐宋八大家の一人。幼くして父や兄を失い苦労して育った。25歳で進士に及第。その後監察御史、中書舎人、吏部侍郎、京兆尹などの官を歴任したが、儒教を重んじる韓愈は、憲宗の仏教崇拝を批判し、左遷されている。秦漢以前の文章を範とした古文復興運動を提唱。以後の中国散文の支配的文体となった。詩人としては、難解な作風が特徴で、中唐詩壇の一派を形成し、孟郊・張籍・李賀・王建・賈島など「韓門の弟子」と称する詩人たちを輩出した。『韓昌黎集』40巻、『外集』10巻など。
韓愈 |
[韓愈 人物情報]
人名辞典ではこのページで使用している画像の著作権は消失しているものと認識し ているか、許可を得て掲載しております。 万一、画像が許可を得て掲載されていない場合は速やかに画像を外すか、正式な許可を得る手続きをいたしますのでご連絡下さい。