朝鮮王朝の第15代国王(在位:1608年-1623年)。名は琿。
豊臣秀吉の文禄の役(朝鮮では壬辰倭乱)の最中に皇太子となり、宣宗に代わって功績をあげる。王位についた後は革新派の大北派を重用して戦後復興を行ったが、大北派に反発する西人派によって王位を追われた。その後は江華島へ流され、最終的には済州島で生涯を終えた。
戦後の復興や対後金(のちの清)との中立外交で功績があるが、党争の中で実兄の臨海君や異母弟永昌大君などを殺害したため、暴君とされている。しかし、現在ではその功績が見直されている。
廃帝のため、廟号・諡号などはない。
光海君 |