中国北宋の第6代皇帝。在位1067年~1085年。諱:趙仲鍼。廟号:神宗。
王安石を登用して新法を実施、財政再建に成功した。しかし新法が特権階級の既得権益を脅かすものであったため、”新法派”と”旧法派”が対立、司馬光を始めとする旧法派を次々と左遷した。しかし、新党内での権力闘争や神宗自身が王安石の平和外交や政権運営方法に不満を持つようになり、神宗が直接統治を行うようになっていった。神宗は王安石の改革によって回復した財政を元に官僚体制や軍事の改革を行い、支配体制の強化を図った。(元豊の改革)
治世後半には新法が全国に適用され、北宋の全盛期を迎えたが、西夏への侵攻失敗後、健康を害し、38歳で崩御した。
神宗 |