中国北宋の第2代皇帝。在位976年~997年。諱: 趙匡義。廟号:太宗。
初代太祖の弟で、趙匡胤が後周の武人であった頃から兄に協力していた。太祖没後、太祖の子ではなく弟の太宗が即位したこと、また太祖が急死であったことから、太祖の死に太宗が関係しているのではないかと言われている。
太宗は北漢を滅ぼし、中国の再統一を達成したが、遼(契丹族)の討伐に失敗して燕雲十六州の回復が出来なかっただけでなく、かえって遼や西夏(タングート族)の侵攻を許した。
趙匡義チョウキョウギ (別名:太宗) |
[趙匡義 人物情報]
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