中国北宋の第8代皇帝。在位1100~1125年。諱:趙佶。廟号:徽宗。
当初は神宗時代に王安石が始めた新法を行っていたが、政治に関心が無く、蔡京や宦官の童貫を用い、紙幣の乱発や重税の加徴などで、国民に負担を強いたため、1120年に方臘の乱が起きた。また、金(女真国)と結んで北方の脅威であった遼を攻撃し一部の領土を回復したが、のちに金との紛争が起き、首都開封が攻撃されたため、皇太子の欽宗に譲位した。翌年、靖康の変で欽宗らと共に北方へ連行されて、北宋は滅亡。徽宗自身もそのまま没した。
徽宗は皇帝としての評価は低いが、芸術面では北宋最高の1人と言われる。
書・画に優れ、書院・画院の作家を保護した。徽宗自身も痩金体(「痩金」は徽宗の号)という独特の書体を作り出し、絵画では写実的な院体画を完成させた。代表作『桃鳩図』は日本の国宝になっている。
また、水滸伝は徽宗時代が舞台となっており、徽宗だけでなく蔡京や童貫等が登場する。
徽宗 |
[徽宗 人物情報]
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