中国南宋の学者・政治家。諱:熹(き)、字:元晦または仲晦。
朱子は尊称。
19歳で科挙に合格。地方官を歴任し、その間に朱熹は自ら教鞭を取って民衆に教育を授け、廬山の白鹿洞書院を復興させた。地方知事時代には社倉(飢饉に備えて貯蓄しておく倉庫)を設けて難民の救済にあたったが、約50年間の仕官中、大半は名目的な祠官(道教の祠を守備する官吏)で実際には経書を講じた。
その間、朱熹によって再構築された儒教の新しい学問体系を朱子学と呼ぶ。
「理気二元論」「性即理説」「大義名分論」を説いたが、その中の上下関係の秩序を重んじ、五経よりも四書を重んじた部分が、次第に時の施政者に利用されるようになっていった。
中国国内だけでなく、朝鮮(李朝)や日本など周辺諸国への影響も強い。
朱熹 |
[朱熹 人物情報]
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