中国明朝の第3代皇帝(在位1402年~1424年)。諱:棣(てい)。廟号:太宗のち成祖。
明を建国した洪武帝の第4子。靖難の変で甥の建文帝を倒し、第3代皇帝に即位。紫禁城を建築し、北京順天府(現:北京)に遷都した。内政を整備し独裁権の強化を図ったが、同時に宦官を重用し彼らの政治関与を招いたことは後の明滅亡の一因となる。文化的には『永楽大典』『四書大全』等の編纂を命じた。
世界帝国を目指し、宦官の鄭和を7回も大航海に派遣。船団はアフリカ東海岸まで達し、30余国が朝貢に応じた。また、モンゴル高原のタタール部やオイラート部、ベトナムの安南等への遠征を何度も行ったが、最後の遠征の帰途で病没した。
永楽帝 |
[永楽帝 人物情報]
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