日本を代表する西洋画家。佐倉藩の画家・黒沢槐山に日本画を学び、彰技堂で国沢新九郎の指導を受け、工部美術学校に入学、アントニオ・フォンタネージに薫陶を受けました。師の帰国後、同志と十一字会を結成、1889年明治美術会を創立し、主要作家として重きをなし「春畝」「収穫」などを発表しました。1898年東京美術学校教授となり、フランスに留学、帰国後は京都高等工芸学校教授となり、京都に移りました。聖護院洋画研究所を設け、院長となり後進の画家たちを育てました。教育者としても大変優れた人でした。詩情あふれる自然主義の作風で知られ、代表作は「グレーの秋」など抒情的な作品が多く残されています。