讃岐国寒川郡志度浦(現・香川県さぬき市志度)出身の江戸時代の本草学者・蘭学者(医者)・作家・発明家・画家。
いつの時代でも、あまりにも時代を先取りした考えは敬遠されたり嫌われたりするもので、彼の場合も世間からは人を欺く「奇人」「変人」、私利私欲に走るペテン師などと悪くも言われました。
静電気発生装置のエレキテルの復元を初め、火洗布、平線儀、測量機、魚類図鑑、方歩計、寒暖計、油絵、源内焼、戯作、浄瑠璃、など実に多方面にわたる才能を発揮しました。
1761年には伊豆で鉱床を発見し、時の老中・田沼意次にまでその名が知られたほどであったといいますが、1778年、二人を殺傷して投獄され、翌年に獄死しました。享年52歳。
平賀源内ヒラガゲンナイ (別名:平賀元内) |
[平賀源内 人物情報]
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