伊予国宇和郡八幡浜(現・愛媛県八幡浜市)出身の明治時代の技術者。
ライト兄弟の初飛行に先立ち、動力付き有人飛行機を着想したことで知られる航空機研究者。
八幡浜の商家の四男坊として生まれたが、父が事業に失敗したことから貧困に追われるようになり、生計を得るために雑貨店や印刷所などで働きながら物理学や科学の書籍を読みふけりました。
1889年、カラスが羽ばたくことなく滑空しているのを見て、向かってくる風を翼で受ければ空を飛ぶことができるのではないか、と考えて模型飛行機を作成し、1891年、3メートルの滑走の後10メートルを飛行させて日本初のプロペラ飛行実験を成功させました。
更に、2年後には有人飛行を前提にした四枚翼飛行機「玉虫型飛行器」の模型を作成しましたが、資金のメドが立たなかったために実際の飛行は実現せず、その後、1903年にはついにライト兄弟が人類として初めて飛行に成功しました。
その後忠吉は、飛行機事故で死去した多くの人を弔うために飛行神社を設立し、自ら神主となりました。
二宮忠八ニノミヤチュウハチ |
[二宮忠八 人物情報]
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