日本の代表的な江戸の和算家(数学者)。名は新助。
算盤・算木を用いる計算法が一般的だった当時の日本の数学(和算)に対し、筆算(傍書法)を創始して、難解な高次方程式を解く端緒を築きました。
出生は2説あり定かではありませんが、幕臣の家に生まれ、幼少時から、吉田光由の『塵劫記』を独学で学び大いに刺激を受け、中国の書物から学んだ天元術(代数学)に創意改良を加えて独自の和算の世界を創始しました。
1674年、彼の最初の刊行物であり、生存中の唯一の出版物である『発微算法』を著しました。多元連立方程式の解法をまとめた書で、筆算による代数の計算法(点竄術-てんざんじゅつ)の発明し、高次数学の発展の基となりました。円周率を正131072角形を使って小数第11位までを求めるなど、数学の多くの分野における理論的研究を行い、体系化を試みるなど卓越した業績を残しました。
関孝和 |
[関孝和 人物情報]
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