山梨県中巨摩郡櫛形町(現在の山梨県南アルプス市)出身の建築家・建築構造学者で,耐震構造の父といわれる。
東京帝国大学(現・東京大学)を卒業した後,早稲田大学で教壇に立った。
1916年にアメリカへ留学した際に,旅行用トランクの仕切板や船の構造から着想を得て,耐震壁による耐震構造理論を考案する。
考案した耐震構造理論を駆使して構造設計した日本興業銀行本店ビルなどが,その後に発生した関東大震災でもほぼ無事に耐えたことにより内藤の耐震構造理論が実証された。
歌舞伎座や早稲田大学の大隈講堂の構造設計を担当したが,なかでも東京タワー・名古屋テレビ塔・さっぽろテレビ塔などの鉄骨構造を手がけたことで知られている。
内藤多仲 |
[内藤多仲 人物情報]
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