ドイツの哲学者。1775年神学者の子としてレオンベルクに生まれる。
15歳でテュービンゲン大学神学部に入学し、ヘルダーリンやヘーゲルと親交を結ぶ。1798年イエナ大学助教授に招聘され、翌年にはフィヒテの後任として哲学教授になった。その後、ヴュルツブルク大学、エルランゲン大学、ミュンヘン大学で教授を歴任。ヘーゲルの没後にベルリン大学で教授に就任した。
シェリングは、はじめカントやフィヒテの観念論哲学から出発し、精神(主観)と自然(客観)は絶対者の両面であり、知識の原理は両者の合一であるとする「同一哲学」を展開した。
晩年は神秘主義に傾倒。ヘーゲルらを消極哲学であるとして批判した。1854年スイスのラガツで死去。
フリードリヒ・シェリングシェリング |
[フリードリヒ・シェリング 人物情報]
人名辞典ではこのページで使用している画像の著作権は消失しているものと認識し ているか、許可を得て掲載しております。 万一、画像が許可を得て掲載されていない場合は速やかに画像を外すか、正式な許可を得る手続きをいたしますのでご連絡下さい。