日本の蘭学者・蘭方医。1810年(文化7年)現在の岡山県岡山市で足守藩士の子として生まれ、1825年父とともに大坂に出る。
1826年から中天游に蘭学を学び、1831年に江戸に出て坪井信道らに学ぶ。1836年には長崎に出てオランダ人の医師ニーマンに医学を師事した。1838年大坂に戻ると、医業を始めるとともに蘭学塾「適々斎塾(適塾)」を開く。適塾には全国から入門者が集まり、福沢諭吉、橋本佐内、大村益次郎、大鳥圭介ら、明治維新で活躍する人材を多数輩出した。
1849年には「除痘館」を開き、種痘を始めている。1862年奥医師兼西洋医学所頭取として幕府に招聘され江戸に出るが、翌年に死去した。
緒方洪庵オガタコウアン |
[緒方洪庵 人物情報]
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