フランスの文学者・啓蒙思想家・歴史家。本名、フランソワ・マリー・アルエ。
1694年に裕福な公証人の子としてパリに生まれる。はじめ父の意向で法律を学んだが、やがて文学を志すようになった。
1717年に王族や貴族への諷刺詩の著者と疑われ、バスティーユに投獄された。釈放後、悲劇「エイディプス」を上演して公表を博すが、貴族との諍いが原因で1726年に再びバスティーユに投獄される。2週間で釈放され、イギリスに亡命。イギリスではスウィフトやポープらと交わった。
帰国後の1734年「哲学書簡」を発表。絶対王政下のフランスを痛烈に批判して発禁処分となったが、名声を高めた。
1749年フリードリヒ2世の招きでプロイセンに渡り、『ルイ14世時代史』を著す。後にジュネーヴやスイス近郊のフェルネに住んで『寛容論』や『哲学辞典』を著した。
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