フランスの物理学者。1859年パリで医師の子として生まれる。パリ大学で科学を学ぶ。1880年に兄と共に「ピエゾ電気」を発見し、磁性の研究から「キュリー温度」を発見した。1895年物理化学学校の教授となる。
1895年ポーランドからの留学生、マリア・スクロドフスカと結婚。夫妻で協力して放射性物質の研究を行い、1898年にラジウム・ボロニウムを発見した。1902年にはラジウムの分離に成功、翌1903年に夫妻でノーベル物理学賞を受賞した。1904年にパリ大学の教授となったが、1906年に荷馬車に轢かれ、死去した。
ピエール・キュリー |
[ピエール・キュリー 人物情報]
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