臨済宗の僧侶。「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とも称される人物。
1685年(貞享2年)現在の静岡県沼津市に生まれる。幼少から聡明で7歳のときには法華経をそらんじたという。15歳で出家し、19歳になると諸国を行脚して修行を重ねた。34才で京都の妙心寺の第一座となり白隠と称した。その後、臨済宗を復興させて現在の臨済宗の礎をつくり、臨済宗中興の祖とされるまでに至った。
白隠は民衆に禅をわかりやすく伝えるため、書や禅画を多数制作した。技巧にとらわれない豪放でユーモラスな書画は高く評価されている。
白隠慧鶴ハクインエカク (別名:白隠禅師) |
[白隠慧鶴 人物情報]
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