日本の歌人・作家。旧姓、鳳。1878年(明治11年)大阪府堺市に和菓子屋の三女として生まれる。幼少より漢学や古典などに親しみ、1895年頃から和歌を雑誌に投稿するようになった。1900年与謝野鉄幹が創刊した『明星』に短歌を発表し、翌年には上京し、鉄幹と結婚。鉄幹を派11人の子をもうけた。さらに同年、処女歌集『みだれ髪』を発表、この作品は若い世代に絶大な支持を得て浪漫主義の代表作となった。1904年には新妻を残して日露戦争に出征した弟を謳った反戦歌「君死にたまうことなかれ」を発表。
大正時代には社会評論を多く書くようになり、平塚らいてうと母性保護論争を巻き起こしたことでも知られる。
与謝野晶子 |
[与謝野晶子 人物情報]
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