スイス生まれの画家。1879年ベルン郊外ミュンヘンブーフゼーで生まれる。父はドイツ人音楽教師、母は元オペラ歌手だったことから幼い頃から音楽教育を受けた。ヴァイオリンに才能を発揮し、10歳でベルン管弦楽団の非常勤団員となっている。
しかし絵画にも強い興味を持ち、1898年ミュンヘンに出て美術を学ぶ。同地で知り合ったリリー・シュトゥンプと結婚したが、制作活動は振るわず、妻の収入に頼って生活した。
1914年のチュニジア旅行を転機に豊かな色彩と抽象的で記号的な表現を特徴として独自の作風を確立していった。
第1次大戦への従軍を経て1920年にバウハウスの教授に招かれて10年間教鞭をとった。1931年にデュッセルドルフ美術学校に移籍。
1933年ナチス政権が成立して学校を解雇され、スイスに帰郷して1940年に皮膚硬化症で没した。
パウル・クレー |
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