日本の歌人・医師。1882年(明治15年)現在の山形県上山市に農家の子として生まれる。生家が生活苦のため、親戚で医師であった斎藤紀一の家に養子に入った。
14歳で上京し、第一高等学校卒業後、東大医科大学に進学。医学を学ぶ傍ら和歌の創作にも取り組む。在学中に伊藤左千夫の門下に入る。1913年処女歌集『赤光』を刊行、注目を集めた。
1951年文化勲章受賞。生涯に残した歌は17000余にのぼる。医師で評論家の茂太は長男、作家の北杜夫は次男。
代表歌「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」など。
斎藤茂吉 |
[斎藤茂吉 人物情報]
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