日本画家。1835年1月25日(天保7年12月19日)法衣屋の子として京都に生まれる。耳が不自由だったため学問を志し、国学、漢学、詩文などを修めた。独学で絵を学び、中国の南画・明清画や日本の大和絵など多くの画法から独自の画風を確立した。
維新後に大和石上神社、和泉大鳥神社で宮司を務めている。1881年辞職してからは京都に戻り、文人としての生活を送った。
一般の展覧会に出品せず、余技としての画を貫いたため「最後の文人画家」と称される。
1917年帝室技芸員、1919年帝国美術院会員。
富岡鉄斎 |
[富岡鉄斎 人物情報]
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