日本の絵師。1733年6月12日(享保18年5月1日)現在の京都府亀山市に農家の子として生まれる。京に出て狩野派の流れを汲む石田幽汀に画を師事し、眼鏡絵を描いて西洋画の透視図法を習得した。
30代前半頃から「応挙」を名乗り始め、円満院主、祐常法親王の知遇を得た。中国の書画にふれて写実技法を学び、写生を重視した描写と筆格端正で格調ある画風を築いて人気を得、天下の名人と称された。また、多くの門下生を育て「円山派」を生むに至った。
代表作「雪松図屏風」「七難七福図巻」「孔雀牡丹図」「雲龍図屏風」など。
円山応挙 |
[円山応挙 人物情報]
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