日本の画家。1891年東京銀座に漢学者岸田吟香の子として生まれる。1908年白馬会葵橋洋画研究所に入り、黒田清輝に油絵を師事する。1910年第4回文展に初入選。1912年高村光太郎、萬鉄五郎らとヒュウザン会を結成した。1915年現代の美術社主催第1回美術展(第2回展以降の名称は「草土社展」)を主宰、1922年までの草土社展9回すべてに出品している。1929年満州旅行の帰路、山口県徳山で死去。愛娘の5歳から16歳までの姿を描いた一連の麗子像が代表作として知られる。
岸田劉生 |
日本の画家。1891年東京銀座に漢学者岸田吟香の子として生まれる。1908年白馬会葵橋洋画研究所に入り、黒田清輝に油絵を師事する。1910年第4回文展に初入選。1912年高村光太郎、萬鉄五郎らとヒュウザン会を結成した。1915年現代の美術社主催第1回美術展(第2回展以降の名称は「草土社展」)を主宰、1922年までの草土社展9回すべてに出品している。1929年満州旅行の帰路、山口県徳山で死去。愛娘の5歳から16歳までの姿を描いた一連の麗子像が代表作として知られる。
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