Michelangelo Buonarroti

ミケランジェロ・ブオナロッティ

ミケランジェロ (別名:ブオナルローティ ブオナロティ)
Michelangelo Buonarroti
1475年03月06日~1564年02月18日
[イタリア] [絵画] [彫刻] [建築] [詩歌]

[ミケランジェロ・ブオナロッティ 人物情報]

イタリア・ルネサンスを代表する彫刻家・画家・建築家・詩人。 1475年トスカーナ地方カプレーゼにフィレンツェ市の行政官の子として生まれる。13歳で画家ドメニコ・ギルランダイオの元へ弟子入りし、フレスコ画の技術を学ぶ。1年後、ロレンツォ・デ・メディチの保護を受けてメディチ家のコレクションに学び、学者らと交わった。 1492年にロレンツォが死去してサヴォナローラがフィレンツェの実権を握るとフィレンツェを避け、その後ローマへ行く。そして彫刻「バッカス」や「ピエタ」によって名を上げた。 1501年フィレンツェに戻ったミケランジェロは、「ダビデ像」の彫刻に取り掛かる。1508年にはシスティナ礼拝堂の天井画を制作。1513年ロレンツォ・デ・メディチの子であるレオ10世が教皇になるとメディチ家の墓廟などを建築した。メディチ礼拝堂の彫刻、2公子像と4対の寓意像はミケランジェロ作品の傑作である。その後1534年フィレンツェを離れローマに定住すると教皇パウルス2世の命でシスティナ礼拝堂の「最後の審判」を制作。1546年からはサン・ピエトロ寺院の修築責任者となった。