フランスの画家。パリ近郊で外交官の家に生まれる。
実父は政治家のタレーランという説もある。
1817年ゲランのアトリエに入り、ジェリコらと知り合った。
1822年「ダンテの小舟」でサロンデビュー。1824年には「キオス島の虐殺」をサロンに出展。実際の虐殺事件に基づいて強烈な色彩を用いて描かれたこの作品は、古典主義が全盛の時代の中、賛否両論を巻き起こし、ロマン派運動の契機となった。 1832年の記録画家としてアフリカに訪問し、旅行後はオリエントの風俗を採り入れ、さらに表現に豊かさを増した。また、教会や公共的建物の装飾の制作もおこなった。
代表作は他に7月革命を描いた「民衆を率いる自由の女神」「アルジェの女たち」など。
ウージェーヌ・ドラクロワドラクロワ |
[ウージェーヌ・ドラクロワ 人物情報]
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