フランスの画家。1819年オルナンの裕福な農家に生まれる。パリで法律を学んだ後、画家を志してルーブル美術館での模写で絵画を学んだ。1844年サロンに入選。1855年パリ万国博のサロンへ「画家のアトリエ」と「オルナンの埋葬」を出品しようとするが落選。そのため、自らの作品展を博覧会のすぐ近くで行った。当時は自分の作品のみを展示する展覧会はなく、これが世界初の「個展」といわれる。 また、クールベは古典絵画の模倣ではなく、生きた芸術を主張。労働者や農夫こそが主題にふさわしいと主張した。その後ナポレオン3世の勲章を拒否したことから民衆はとみなされ、1871年のパリコミューンでは委員に選ばれた。しかしコミューンの失敗で莫大な罰金を課され、スイスに亡命したものの、この負債に苦しみ1877年スイスで没。