1860年チェコスのイヴァンチッツェで生まれる。「アール・ヌーボー」美学の形成に決定的役割を演じた人物と評価される。
父は裁判所の役人。幼少期に教会の聖歌隊に所属、美術に興味を持ち始めた。1879年ウィーンの舞台装置の工房に勤めながら夜間のデッサン教室に通った。その後パトロンとなるクーエン・ベラシ伯爵と出会いミュンヘン、パリへ留学。1889年に伯爵の援助が打ち切られると雑誌の挿絵や児童雑誌への寄稿で生計を立てた。
1894年女優サラ・ベルナールのポスター「ジスモンダ」の成功によりポスター画家としての地位を確立する。1900年パリ万博のボスニア・ヘルツェゴビナ館の装飾を担当、1901年レジオン・ドヌール勲章受賞。
ミュシャは自然界にあるものを巧みに抽象化・様式化して曲線と直線がおりなす装飾的フォルムを作り出した。エレガントで流麗なデザイン、洗練された細部の仕上がりと美しさの完璧なバランスが特徴。
アルフォンス・ミュシャ |
[アルフォンス・ミュシャ 人物情報]
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