ドイツの作曲家。1833年3月13日ハンブルクで生まれる。15歳から家計を助けるため、ピアニストとして働いた。1853年にはハンガリーのヴァイオリン奏者レメニーとともに各地を演奏旅行し、ヨーゼフ・ヨアヒムの紹介により、ロベルト・シューマンに会った。これが縁でシューマンは「新音楽時報」にブラームスを賞賛する記事を書き、これが契機となって楽壇に認められるようになった。1863年からウィーンに定住してウィーン楽友協会の指揮者となった。1868年の「ドイツ・レクイエム」の成功で作曲家としての地位を確立した。1879年ブレスラウ大学名誉哲学博士号。シューマン夫人クララへの愛情のため、生涯独身を貫いたといわれる。クララの死の1年後、肝臓がんで死去。ブラームスの作風は、リストやヴァーグナーなどの新ロマン派に対して「新古典主派」といわれる。また、バッハ、ベートーベンと並んでドイツの3Bと称される。代表作 交響曲第1番、「悲劇的序曲」、ピアノ協奏曲、ハンガリー舞曲、大学祝典序曲など。