ロシアの作曲家。1840年5月7日ウラル地方のヴォトキンスクで鉱山技師の子に生まれる。その後一家はペテルブルクに転居し、チャイコフスキーはペテルブルクの法律学校で学んだ。
1859年?司法省で勤務したが、1863年辞職してペテルブルク音楽院に入学した。卒業後、モスクワ音楽院教授に就任。1869年「ロミオとジュリエット」を発表、作曲家としての名声を得た。
その後スイス、イタリア、フランスなどで活動。77年から13年間はロシアの富豪の未亡人フォン・メック夫人の経済的援助を得て作曲に専心し、78年にモスクワ音楽院教授を辞任した。93年交響曲第6番「悲愴」を作曲、初演が大失敗に終わり、失意の中、生水を飲んだことが原因で1893年11月6日にコレラで没した。
代表作は組曲「くるみ割り人形」「白鳥の湖」バレー音楽「眠れる森の美女」交響曲第5番、第6番「悲愴」、ピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲など。
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[ピョートル・チャイコフスキー 人物情報]
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