1921年3月11日アルゼンチンのマル・デル・プラタで生まれる。両親はイタリア移民三世。4歳の時に一家でニューヨークに移住し、15歳までを過ごす。アルゼンチンに帰国後、1939年に当トロイロ楽団に参加し、バンドネオン奏者として頭角を表すようになる。1944年にトロイロ楽団を脱退し、独自の音楽活動を開始する。だがタンゴの将来性に疑問を感じ、クラシック音楽家に転向するため1954年にフランスに渡り、ナディア・ブーランジェに師事する。ブーランジェにタンゴこそがピアソラの進むべき道だと強く指摘され、自分の内なる精神に忠実に、タンゴの道を進むことを決意する。1955年にアルゼンチンに帰国、先鋭的なタンゴ発表し、タンゴの破壊者として批判を浴び、ニューヨークへ移住。タンゴにクラシックやジャズの要素を加えたまったく新しいタンゴをを生み出し、「タンゴの革命児」と称される。
1992年7月4日ブエノスアイレスにて死去。
代表作は「ブエノスアイレスの四季」シリーズ、「アディオス・ノニーノ」など。
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[アストル・ピアソラ 人物情報]
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