ロシアの作曲家。ロシア五人組の一人に数えられる。1844年ノブゴロドで貴族の家に生まれた。12歳で入学しペテルブルクの海軍兵学校でバラキレフらロシア国民学派を掲載する人物と交遊し、音楽に目覚める。1859年から自らもピアノを学び始めた。61年からはバラキレフに就いて作曲も学び、62年に兵学校を卒業後、交響曲第1番に着手、65年にバラキレフの指揮でペテルブルクで初演され好評を得た。 27歳でペテルブルク音楽院の教授に就くと73年に軍籍を離脱する。1905年?の第1革命では反動的院長として音楽院教授を解雇されるがそれで名声を得て、1905年に復職。代表作は「スペイン奇想曲」、交響組曲「シェエラザード」、序曲「ロシアの復活祭」など。教育者としての評価も高い。
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[ニコライ・リムスキー・コルサコフ 人物情報]
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