ロシアの作曲家。「ロシア5人組」(ロシア国民楽派のバラキレフ、ムソルグスキー、キュイ、リムスキー・コルサコフ、ボロディン)の1人。プスコフ県カレヴォに生まれる。母にピアノを習う。10歳のときペテルブルクに移り、A.ヘルケにピアノを師事。1851年にペテルブルクの陸軍近衛師範学校を卒業して仕官に任官される。そこで軍医だったボロディンと出会い、さらにキュイやバラーキレフと出会い、1857年からバラーキレフに作曲を師事している。翌年、軍を退役。
1860年に自作のピアノ曲 「スケルツォ 変ロ長調」 を管弦楽曲に編曲し、同曲が1861年にA・ルービンシュタインの指揮によりロシア音楽協会のコンサートで初演されると、一躍有名になった。だが、1861年アレキサンドル2世の農奴解放令で家産を失い、困窮に苦しんで下級官吏の職を転々とした。アルコール依存症となり、1880年に発作で急逝した。
代表作は交響詩「禿山の一夜」、ピアノ曲「展覧会の絵」ほか。
モデスト・ペトロヴィッチ・ムソルグスキームソルグスキー |
[モデスト・ペトロヴィッチ・ムソルグスキー 人物情報]
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